目的と手段

 本題の小論文はもう少しお待ちください。興味深い内容のエントリーを見つけたので引用させていただきます。


「おまえも空気の奴隷になれ」って?「空気読め」の扱い方次第で人生台無し - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ
コミュニケーション能力についての話題で、大学の時の卒論でコミュニケーション学をやってたので昨今話題になってるコミュニケーション能力という話には非常に興味があるのですが、今回興味深かったのはこの部分。

論理的な正しさというのは、利害と感情の構造を組み立てるときの、脇役であって、それを中心に据えてしまうのは、本末転倒意味不明である。家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなものだ。


論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。

 引用もとの文章の本題とずれたところのみを引用して非常に申し訳ないのですが、小論文をやる上での本質的な問題はここです。僕のいう「設計の問題」というのが、要するに論理的に相手に自分の意見を伝達することです。小論文というと、とかく「論理的」というところだけを意識しがちになるんですが、それはやはり手段でしかありません。伝達したい内容、すなわち「材料」があって始めて成り立つことであり、その部分が抜けてしまっている小論文を添削していると、まさに『家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなもの』という印象しか受けません。
 論理的に文章を書く能力というのは訓練しだいで短期間でもなんとでもなるものですが、材料集めは一朝一夕になんとかなるものではありません。この点を意識して、普段からいろいろなことに興味を持ってなんでも吸収するつもりで日々過ごしていきましょう。
 ちなみに、上記引用もとの内容は小論文を勉強する上で示唆に富む内容であると思うので、是非読んでください。